当寺では今年の秋彼岸法要を週遅れにて勤めさせて頂きました。残暑というには暑すぎるお彼岸ではありましたが、私達の喧騒とは裏腹に月はその彼岸の輝きを照らしておりました。この穏やかな時期に「改めて自分自身の行いを顧みましょう」というのが、お彼岸の期間の本来の意義でございます。ですが私たちが穏やかなお彼岸を勤めさせて頂く一方で、能登方々にとっては元旦の地震に続き豪雨災害の悲風に見舞われ、掛ける言葉も見つかりません。自身が穏やかに暮らしているその瞬間も、常にどこかで誰かが悩み苦しみに合われています。何時誰がその立場になってもおかしくないのがこの無常の世の中でございます。彼岸を勤める事の出来る人々が、心を寄せて生きる事が、必ず苦しみの中にいらっしゃる方々の生きる力となって参ります。常に他者の心に寄り添う事が、彼岸の大切な修行の一つでございます。